ドイツのブルーダーという人が「嵐の中の教会」(新教出版社)という書物を書いています。
第2次世界大戦のさなか、ドイツでは、ヒットラーを総督とするナチス政権の下で戦争への道を突き進んでいきました。戦争に反対する人たちは次々に捕えられ、拷問を受けたり収容所に送られたりしました。
ドイツのある村の教会の牧師もこのために捕えられ、小さな教会は厳しい試練に遭遇するのです。ドイツの多くの教会は戦争に加担していくことになるのですが、聖書の教えに立つならば、私たちはこのような戦争をすべきではない。ポーランド人やユダヤ人などの弾圧を止めるべきだと訴えるクリスチャンたちは、告白教会を組織して、地下抵抗運動をも繰り広げるようになりました。
「嵐の中の教会」には、この村の教会が受けた試練の数々と、それを聖書に立ち、神への信仰によって乗り越えていった様子がかかれています。彼らは多くの人々が戦争になびいていく中にあって、神の願いは何かということを祈り求め、神の導きと支えを信じて、キリストの教会を立てあげていこうとしたのです。


キリスト教会の歴史
 教会の歴史は、神が人間をお造りになった時から始まるということもできますが、ここではイエス・キリストの弟子たちから始まった、いわゆる初代教会からの歴史を簡単に述べておきたいと思います。
 初代教会の様子は、4つの福音書や使徒の働きなど、新約聖書の書簡を見ればだいたい分かります。


 ヨハネによる福音書20章19節以下に言われているように、弟子たちは、イエス・キリストが十字架につけられ葬られたあと、まったく絶望と不安と恐怖の思いに打ちひしがれていたようです。
自分たちの無力さを痛感し、将来を案じながら、人々を恐れて戸を閉じて部屋の中にこもっていました。
そのような弟子たちのところに、よみがえりのキリストが立たれたのです。
「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。
イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」(ヨハネによる福音書20:19〜21)
 ここにキリスト教会の原点があるといってもよいでしょう。私たちのために十字架にかかってくださった方、そして私たちに先立ってよみがえり、今も私たちとともに働いてくださるお方に出会うところから、キリストの教会はやがて世界中に広がっていくようになるのです。


 キリスト教会の歴史は迫害の歴史といってもよいくらいに、厳しい迫害や困難を乗り越えて今日にいたっています。
福音書の続編といわれるものが使徒言行録ですが、これを読むと生まれたばかりの初代教会がはじめはユダヤ人たちから、そしてローマ帝国から、厳しい迫害を受けつつ、しかし、どんどん広がっていったことが分かります。不思議なことですね。神様が働いてくださったとしか考えられません。
 なぜ迫害が起こるかといえば、日本の場合も同じことですが、ローマ皇帝や権力者は、常に自分に忠誠を尽くすことを求めるのですが、クリスチャンたちは、「人に従うより神に従うべきです」といって、必ずしも皇帝に従わないことがあったからです。当時では、帝国内の各地に皇帝の像が建てられて、ローマ皇帝が神であると考えられて「皇帝礼拝」が強要されました。日本でも戦時中には神社参拝や宮城遥拝が強要されたようなものです。
クリスチャンたちはこういうことをしない。理不尽な命令には従わなかったのです。こういうわけで、キリスト教は権力者にとっては煙たい存在になりました。
 しかし、帝国内にクリスチャンが増えていって、キリスト教を否定していたのでは国がやっていけなくなり、395年には、キリスト教はローマ帝国の唯一の公認宗教となるのです。
この頃の教会の歴史で重要なことは、異端との戦いの中で生まれてきた、ニケア、カルケドン、アタナシウス信条などが生み出され、教会の信条として確立されてきたということです。
325年から451年にかけて相次いで行われた教会会議において、これらの信条が生み出され、神について、キリストについて、聖霊についての基本的な理解(三位一体の神、キリストの二性一人格など)が確認されました。
歴史を支配なさる神が、聖霊によって、教会を正しい理解へと導いて下さったのです。キリスト教会の歴史においても正統的な教会はいずれも、「三位一体の神」と「二性一人格のキリスト」を信じ受け止めてきました。


簡単に説明すると、
 「三位一体の神」とは、神は唯一の神であるが、父なる神、子なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神がおられ、そのいずれもが神としての本質を持っておられるということです。人間の理屈では分かりにくいことですが、聖書をそのまま受け止めるならこのことが明白に記されています。  
 イエス・キリストは永遠の昔から父とともに存在し、人格は異なるが、父と同質の本質を持っている。
「二性一人格」とは、「キリストは、完全な神性であって、完全な人性であり、真の神であり、真の人であり、この二性は混乱もせず、転化もせず、分割もせず、分離もしない」ということが確認されました。また、人間はどうしたら救われるのかということをめぐってのアウグスチヌスなどの果たした貢献は大きなものがありました。
しかし、教会の勢力が強大になるとともに、教皇など教職者たちの権力争いが起きるようになったり、聖書とともに教会の伝承も同じように重んじるべきだということになり、ローマ・カトリック教会では、聖書に教えられていない数々の伝承が聖書と並んで重んじられるようになってしまいました。
 また、ローマ・カトリック教会では、一般の人々が聖書を読むことを禁じて、聖書はラテン語の聖書を用いて、神父や司祭などが民衆に教えるという形をとるようになりました。これに対して、宗教改革の先駆者と言われるジョン・ウイクリフやヤン・フス、ワルデンセスの人々などは、自らでヘブル語やギリシャ語の聖書を持ち、原点から直接聖書を読むことを教えていたためにカトリック教会から迫害され、処刑されたり迫害されることもありました。
ローマ・カトリック教会では、セント・ピーター寺院の改修工事の費用などをまかなうために、免罪符を販売するようになり、これを購入すれば、罪の償いを免れることができるなどと教えるようになりました。これに疑問をもった修道士マルチン・ルターは、ウィッテンベルク城教会の扉に95カ条の提題(質問状)を掲げて、聖書の権威を重んじ、聖書に帰ることを訴えました。
ルターによって宗教改革が起こり、ローマ・カトリック教会に対してプロテスタント教会が生まれました。宗教改革は、教会の権威から聖書の権威を取り戻した運動であるということができます。聖書の権威を本来の姿に戻そうとしたのです。宗教改革運動が訴えたものは主に以下のことでした。
1)聖書のみ(聖書だけが信仰と生活の唯一の基準である)。
2)信仰のみ(人間の功績によらず、イエス・キリストを信じる信仰によってのみ救われる)。
3)万人祭司(どの人も直接神との交わりに生きることができる)を主張し、聖書に基づいた教会を形成していこうとしたのです。
 一般の人も聖書が読めるように、聖書を翻訳したり、聖書の註解書を出版したり、聖書に基づいた信仰の告白である信条を作ったりなどしていきました。
 このように、ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会は、分離してきましたが、共に聖書を土台にしていますし、基本信条においては一致していますから、福音理解の中核においては共通点を持っており、現在では、「新共同訳聖書」など、カトリックとプロテスタントの協力の動きも盛んになってきています。 しかしなお、現在もローマ・カトリック教会では、ローマ法王無謬説(ローマ法王は決して誤ったことはしない。罪を犯すことはない)。聖母マリアは、罪を犯したことがなく、今も私たちと神との間の仲保者としての働きをしている。化体説の教え、神人協力説(神と人が協力して救いを得る)、煉獄の思想など、聖書に矛盾すると思われる説を採用しています。

信条について
 信条は、教会の歴史から見ると、聖書を誤って理解する異端が表れると、それに対して、教会がその問題を真剣に闘っていく中で、「これが聖書の教えだ」という神学的な立場を確認してきたものです。主な信条としては、使徒信条、ニケア信条、カルケドン信条、アタナシウス信条、ハイデルベルク信条、ウエストミンスター信条、ドルト信条などがあります。
 教会のこれまで2000年余りにわたる聖書解釈の歴史は、単なる人間のわざではありません。この歴史を考える時、神は聖霊によって、正しい聖書の理解へと導いて下さったということが分かります。また、聖書的な教会をたてようという時には、どうしても「私たちは聖書をこのように理解する」という共通の信仰の告白の上に立てていくことが必要なのです。ですから、信条を重んずるということは、この歴史に働く聖霊の導きを確信し、聖書の歴史とともに教会の歴史を重んじるということです。ここで注意したいことは、あくまでも聖書が信仰と生活の唯一の基準であり、聖書によってのみ立てられる教会を形成するということです。聖書的な教会を形成していくために信条が作られるのです。
聖書が第一基準であり、信条は第二基準です。
教会の政治
教会の政治形態は、大きく分けて監督政治と長老政治と会衆政治の三つに分けることができます。一言で言えば、監督制は監督がリーダーシップをとって治める。会衆制は会衆が全員で教会を運営する。長老制は一つの監督ではなくて共同監督という考え方です。これは教会の運営のやり方ですが、どれでなくてはならないというわけではありません。
1)監督制
監督制は、地域を教区として区切り、その教区に一人の司教をおいて、その司教の監督のもとに教会を運営するというものです。監督制の特色は、①一般信徒と教職との区別の強調、②教職の中に階級を立てるということがあります。これは、治めやすいという利点があると思われますが、監督である教区の司教が聞違った聖書理解を持っていたりすると困ることになります。あるいは一人の司教の意のままになってしまうという危険性もあります。
2)会衆制
会衆制は、一つの教会会衆全体で教会の運営をしていきますから、この政治形態をとる教派の教会は、実質的にはそれぞれの教会は独立した教会になります。このため、教職も信徒もともに自分たちの意見を反映させて教会を運営していくことができますが、教派の共通の信仰規準を持つことは難しいために、各々の牧師はかなりの幅を持った神学理解を持つことになります。それで牧師が変わるとそれまでとはかなり違った聖書解釈になるという可能性があります。教会形成の積み重ねが出来にくいという面を持っています。
3)長老制
長老制は、世界的な広がりをもって、他の改革派教会とともに連帯し、教理の純潔を保つとともに、信仰告白(信条)が教会全体にゆきわたるようにするための形態であるといってもよいでしょう。各教会が代表を出して、中会をつくり、それを共同監督するという制度です。各教会は独立性を持つとともに他の教会と連帯し束縛されるものです。中会が一つの教会であるといってもよいのです。
中津川キリスト教会は、改革派教会の群れとして長老主義政治を採用していますが、これはどの政治形態でなければならないというものではありません。
どの教会も、ひとりの主なる神がたててくださり、イエス・キリストを信じる信仰の告白の上にたてられていることを忘れてはなりません。
教会やクリスチャンのことを考えるときに重要なみことばが、以下に記されております。ここでイエス様は、「あなたはわたしのことどう思うか」と質問なさったときに、シモン・ペトロは、使徒たちを代表して次のように答えました。
「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」(マタイ16:13)そして、イエス様は、この信仰の告白の上にわたしの教会を建てると言われたのです。世界中のどの教会も、イエスをキリストと告白する教会は、すべて主イエスによってたてられた、キリストの教会です。だから教派を越えて国籍や民族の違いをこえて兄弟姉妹とよぶことができるのです。
 「シモン・ペトロが、『あなたはメシア(キリスト)、生ける神の子です。と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる』」(マタイの福音書16章16〜19節)。


第16章 キリスト教会について  理解のために


1) イエス・キリストが十字架につけられたころには、弟子たちは失望落胆、意気消沈していましたが、そのような一握りの人たちから始まったキリスト教会は、その後激しい迫害にもかかわらず各地に広がっていきました。それはなぜだと思いますか。

2) 「三位一体」とはどういうことですか。

3) 「二性一人格」とはどういうことですか。

4) 宗教改革運動が主張したことはどういうことですか。

5) 教会政治の形態はどういうものがありますか。