中東の国々でのキリスト教復興

イスラム教徒が多数を占める中東のある国では、イスラム教の家庭に生まれた者がイエス・キリストを信じることは、法的にも社会的にも重い罪とされており、最悪の場合、死刑に処されることさえあります。

Sさんは、キリスト者になったために亡命を余儀なくされた方ですが、彼がキリストを信じる決断をしたとき、それは、喜びと解放に満ちた瞬間であると同時に、深い痛みと代償を伴うものでした。実際、その信仰のゆえに、20年以上にわたって家族と離れ離れになり、両親やお姉さんとも、地上で再び会うことのない別れを経験しました。

現在もなお、その国ではキリスト教への改宗が厳しく監視されており、海外に暮らす信者たちに対しても圧力があります。

そのような試練のただ中にあるSさんの祖国ですが、今、そこでは中東の中でも最も急速にキリスト者が増えている国のひとつとなっています。この五十年の間に、その国のクリスチャン人口は、日本のそれを大きく上回るものとなったと言われています。

多くのメディアは、中東における政治的な緊張や宗教の衝突にばかり目を向けますが、霊的な次元では、まったく異なる「静かな奇跡」が今も続いているのです。

神を信じるユダヤ人とアラブ人、イラン人とユダヤ人、カトリック、プロテスタント、コプト正教の人々――かつては分かたれていたさまざまな信仰と背景を持つ人たちが、いま中東各地で、共に賛美をささげる光景が広がりつつあります。

ヘブライ語、アラビア語、ペルシャ語、英語、ポルトガル語――
多様な言語でささげられる礼拝のなかに響いてくるのは、「イエスはすべての民族と国々の主である」という、福音の真実です。

キリストにある一致は、言語の違いも、国境も、民族や歴史的な対立さえも越えていく――そんな希望を、私たちはそこに見出すことが出来ます。

さまざまな分断のただ中で、共に神を賛美する声が響いていること。
それは、やがて来る神の国のかたちを、ほんの少しだけ垣間見せてくれているのかもしれません。