
新約聖書の使徒の働きやパウロの書簡などに記されている古代教会(あるいは初代教会)は、激しい迫害の時代にあっても、復活の主イエスが共に働かれた故に、神の栄光を現わし、神と隣人を愛し、進展を続け、ローマ帝国内の多くの人々に福音をもたらしました。そのような教会の姿を祈り求めるものです。
「古代教会」は、書物によって、「初代教会」「原始教会」「初期キリスト教」など、いろいろな呼び方で呼ばれています。大雑把に言って、「初代教会」や「原始教会」は新約聖書時代の教会。「初期キリスト教」は最初の三世紀くらい。そして「古代教会」は、主として二世紀以降、つまり新約聖書の次の時代から六世紀くらいまでの教会を指していると言えます。

神戸改革派神学校校長である吉田隆先生は、古代教会について学ぶことの意義を次のように述べておられます。
日本のプロテスタント教会の多くは、一九世紀・二〇世紀に来日した欧米の宣教師たちによってもたらされたものであること、今もなお、周りの多くの人々がキリスト教についても聖書についてもあまり理解していないことを考えると、古代教会と今の日本の教会がおかれている状態はとても良く似ていると言えるでしょう。
一九世紀・二〇世紀に来日した欧米の宣教師たちがもたらしたキリスト教は、多くの場合、すでにできあがっているキリスト教世界のあり方でした。伝統的な教会であっても、その教派的伝統は一六世紀の宗教改革にさかのぼるのがせいぜいのところです。
しかし、宗教改革もまた、ヨーロッパのキリスト教社会の中で起こった教会の改革です。改革者たち(ルターにせよカルヴァンにせよ)は、すでにあったキリスト教の社会や伝統を変革したのであって、ゼロから創造したのではありません。プロテスタント信仰のルーツはそこにあるのですから、宗教改革者たちの神学や業績から学ぶことは大いに大切なことです。しかし、日本の教会は、すでに何百年もの歴史を持つキリスト教社会にあるわけではありません。キリスト教の土台が全く存在していない土壌の中で、いわば、ゼロから伝道し、教会形成をしているわけです。それは宗教改革者たちが直面したヨーロッパにおける教会の課題とは全く異なります。彼らの神学も教会理解も、あくまでもキリスト教社会を前提としたものであることを忘れてはなりません。
ですから、そもそもキリストの福音とは何か、どのように礼拝するのか、聖書はどのように読むのか、教会形成に必要なことは何か等々、キリスト教の根本問題は、古代教会から多くを学ぶことができるのです。(実は、宗教改革者たち自身も古代教会から学んでいました!)
もう一つ、古代教会から学ぶことの大切な理由は、古代教会が(ユダヤ教との関係の歴史を経て)やがて非キリスト教的多元社会―多宗教・多文化―の中に福音の種が蒔かれて誕生し、成長した教会だからです。まるで今日の世界のような多元社会の中で、当時の教会やキリスト者たちがどのように福音を伝えたのか、どのような問題に遭遇し、それを乗り越えていったのか、厳しい迫害の中でどのように生き抜き、最終的にはローマ帝国を変えていったのか。この非常にエキサイティングな歴史を、私たちは古代教会の歴史から学ぶことができるのです。
もちろん二〇〇〇年という時代の開きや文化の違いがあることは言うまでもありません。ところが、そこには、圧倒的な少数者として異教社会の中で奮闘している私たち日本の教会、とりわけ、地方の教会やキリスト者たちが直面する様々な問題や困難と驚くほど似通ったものがあるのです! もちろん、成功例ばかりではありません。多くの弱さや失敗もあります。それらを含めて、私たちが学ぶべき多くの教訓が、古代教会の歴史には詰まっているのです。
