
80年前敗戦を迎えたこの国
私たちの祖国、日本のほとんどは、焦土と化しました。
先人たちの尽力によって、
荒れ果てた国は復興を遂げました。
しかし、霊的に見れば――
焦土と化し、ぼろぼろになった私たち日本人の心は、
80年を経た今もなお、
見えない傷を抱えたまま、
時に痛み、呻いているようにも思われます。
世界の歴史は、ある意味では戦争の歴史であり、
これまでにも、無数の人たちが他者の手によって
その命が奪われてきました。
沖縄の平和祈念公園にある平和の礎(いしじ・注1)にある
刻銘碑には、平和の広場を中心にして放射状に円弧の形で広がりをもって配置されています。

戦後80年というこの時、
命を落としたすべての人を想い、
祈りの心を持って、この日を過ごせたらと願います。
愛する者を失った方々、そのご遺族の方々に、
御子キリストにある慰めがありますように。
硫黄島で、東南アジアの島々で、満州で、シベリアで、
広島、長崎など本土各地で、沖縄の洞窟で、苦しみの果てに、
一人孤独に息を引き取ったわれらが同胞の魂に、
主からの慰めがありますように。
この世に生かされた者は、
新しい歩みの力を受け取ることができますように。
地上の争いで引き裂かれたすべての魂を癒し、
やがて来る「永遠の朝」へと導かれますように。
この世における、意味のない争いが止みますように。
- 平和の礎
「平和の礎」は、太平洋戦争・沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、国籍を問わず、また、軍人、民間人の別なく、全ての戦没者の氏名を刻んで、永久に残すため、平成7年(1995年)6月に建設したものです。
その趣旨は、沖縄戦などでなくなられた全ての戦没者を追悼し、恒久平和の希求と悲惨な戦争の教訓を正しく継承するとともに、平和学習の拠点とするためです。
なお、「礎(いしじ)」とは、建物などの基礎の「いしずえ」を沖縄の方言で「いしじ」と発音することに由来するものです。平和創造の「いしずえ」となることを期待して付けられたものです。